NPO法人 宇宙船地球号 補足サイト
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「国際協力師シンポジウム@世界と恋するおしごと」
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国連ユニセフ 岡村さんに質問
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山本:ええと、次は、岡村さん。
今日は、ほぼ初対面ですね。Eメールでやり取りはしていますけれども。
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岡村:とっても、初対面とは思えなですけれども、よろしくお願い致します。
山本:今日は、なんか、ヤケクソで??
ええと、やっています
会場:(笑)
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山本:ええ、じゃあ順番に。
ほかの方は、だいたい私は知り抜いていたので、聞きませんでしたが。
基本からいきます。まず、お生まれは?
岡村:生まれは、大阪です。
山本:え、じゃあ、関西弁しゃべれる?
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岡村:関西弁しゃべれます。
山本:じゃあ、回答を関西弁でお願いしようかと…
岡村:え、ん、ほんまですか?
会場:(笑)
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山本:なんか、わざとらしいから。
岡村:あ、ホントですか?
山本:ええと、小学校の時のクラブは?
岡村:クラブはですね、中学はバスケットで、高校がバレーです。
山本:え、あそうですか。身長どのくらいですか?
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岡村:一応、159くらいなんですけれど、
すごい成長が早かったので、中学んときは、まあ2番目くらいに大きかったですね。
で、期待された身長が止まっちゃって。
で、バレー部に入ったら、セッターをやらされました。
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山本:あ、そうですか。
岡村:あ、でも、1番おもしろかったです。
山本:それって、上のほういきました?県大会が、どうとか。
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岡村:バスケットは、私の上の代が定期大会??に出ているので、
学校の中では、一番厳しいクラブで。バレーも、公立なんですけれども、
大阪の1番強いグループの中に入れるくらいの、
それも1番厳しいクラブだったんです。
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山本:中学は、体育会系だったと。
岡村:体育会系です。ただ、ちょっと言っていいですか?
山本:はい。
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岡村:私、4人兄弟の3番目で、他みんな男なんですけれども、
紅一点っていったら、聞こえがいいですが、実はすごいサバイバルで、私自身は、すごい、ちっちゃいときから無口で、おとなしくて、
じっと我慢して耐えるタイプの女の子だったらしいんですよ。
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山本:自分で言っても、説得力ないですよ??
会場:(笑)
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岡村:はははは。(笑)はい。母から、聞いたんです。
母がすごい心配して、
この子は我慢して不幸な人生をおくるんじゃないかと、思って。
もっと、意思表示をしなさいと。
なんかこう、うまく誘導されてですね、
一番厳しいクラブに入ったら、それどころじゃないので。
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自分で、意思表示しなければ、生きていけないように、
1回入れちゃったらどうかと、思ったみたいで。
それも、入りなさいっていうんじゃなくて、
なんとなく私がそういう意思を持つように、誘導されたんです。
で、もう、その気になって、入っちゃったんですけど。
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山本:バスケットか、バレーの厳しいところに。
岡村:ええ。
技術は、国際協力に通じるなあって、言ってたんですけれども。
山本:ま、まあ…。
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岡村:やらせるんじゃなくて、自分が主体性をもってやることで、
長続きするっていう、持続性の面で、ですね。
学ぶところがあるな、と。
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山本:ああ。なるほど。
途上国の人に、オーナーシップをもたせる、
やる気をもたせるという考え方と同じだと。
岡村:そうですね。
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山本:はあ…。いいや。わかりました。ま、いいや。
で、できた科目は?何が得意で、何が不得意ですか?あの、学歴とか。
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岡村:私は、小心者なので、けっこう全部、一生懸命やっちゃうほうなんですよ。
だから、あんまり、すごい苦手なものは、なかったし、
めちゃくちゃ得意なのもなかったですね。面白くない答えで、すみません。
山本:いえ。じゃあ、文系と理系でどっちに結局、大学は行ったんですか?
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岡村:ああ、あの実は、理系の科目がすごく好きだったんですけれど。
なんか、方向音痴で、物理がダメだったんですよ。
それで、生物すごい好きだったんです。
本当は、その時点で栄養に関心もっていたんですけれども。
科学がどうしても、無味乾燥にみえて面白くなかったので。
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で、ちょっと、ミーハー心が出て、文系で国際政治とか、かっこいいな、と思って、
そっちに行ったんですね。
だけど、結果的に栄養に関する関心が後から出てきて、つながったので。
まあ、よかったですね。
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山本:??
国際政治やっていたんですか、大学のとき。最初。
岡村:そうです。はい。
山本:ええと。4年間?
岡村:ええと、日本の大学で、国際政治を勉強して。
そのあと、アメリカの大学にまた、編入学をして。
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山本:どこ?
岡村:マサチューセッツの小さいカレッジなんですけれども。
そこで、もう1回政治学をやりながら、ちょっとづつ。
山本:学士で?
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岡村:院じゃないです。だから、わたしも学士を2つ持っているんですけれども。
どちらも政治学で。
そこで、なんか医療人類学とか、栄養学の基礎コースとか、
そういうのを少しずつ取って、大学院の準備をしたんですが。
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山本:ふうん。大学院はどちらに?
岡村:大学院は、アメリカのジョンソン・ケンブリッジ大学という、ところに。
山本:あ、ジョンソン・ケンブリッジ。MBH、あの公衆衛生の。
岡村:公衆衛生の大学院ですね。
山本:じゃあ1番上です。
岡村:いやいや。(笑)
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山本:あ、そうですか。
あ、そうだ。食べるのが、好きだから、国際協力やろうと思ったっていうのが、
ありましたけれども。
国際政治をやっていたのに、
栄養を絡めた公衆衛生から国際協力の世界にいこうと思ったきっかけは、
時期はどのへんだったんですか?
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岡村:ええと。まず、さっき言った原体験というのが、イランで、あったんですけれど。
大学に入るとき、実は国公立2回落ちてですね、あの失意のどん底だったんですが。
そのとき、先生が…。
山本:2浪したって、いうことですか?
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岡村:前期、後期、両方とも。受かると思っていた大学も落ちたんですね。
で、そのとき同志社大学の政治学だけ受かっていて、
それで、すごい迷ったんですよ。
浪人してでも、行きたいところ行くべきかと。
母親は絶対そうしろと言ったんですけれども、
父親は女の子は浪人するもんじゃないって言ったんですが。
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山本:典型的だ。
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岡村:そう。それで、結局、ある先生が、ですね、
同志社大学にいったら、留学のプログラムがいろいろあるので、
自分の教え子も、それでドイツに行ってるって。
で、私、またミーハー心がでて、あ、かっこいいな、留学してやろう、
と思ったんですね。
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それで、同志社大学にいくことにしたんですけれど。
だから、入ったときから、留学はしたいなって思ってたんですね。
で、じゃあ、留学するんだったら、何を勉強するのか。
語学を学ぶためだけに、行くんじゃないので、
と、うちの母親は、また言ってですね。喝を入れられて。
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お金がもったいないので、語学が、英語が上手になりたいから留学するんだったら、
やめてちょうだいって言われて。
あ、そうだ、何をしたいんだろうって、いろいろ考えたときに、
開発っていうのが、またでてきたんですね。
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で、まあ、すごく面白い分野だなあと思ったので、勉強していって、
それで、いろいろ大学を探っていって。
で、留学する直前に、ある先生と話していたら、
あの、途上国の食料問題っていう話が急に出てきてですね。
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その先生も食べることが大好きなので、食べる話をしていたら、
いや途上国ではこんな大変なこともあるみたいだよ、
で、いろいろ食べ物をどういうふうに教育するかっていうことも
国際協力でやってるみたいだよって教えてくれてですね。
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で、私が留学することが決まっていた隣にある大学が
Food Scienceというコースがあるから、
ちょっとコースをとってみたらどう?なんて、言われて。
で、それ、面白そうだと思って、そういうクラスを取ったりもして。
そのうちに、食べ物っていうより、むしろ栄養かなって思い始めて、
で、栄養になったんですね。
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山本:ほう。で、 ジョン・ホプキンズで、マスター??取った後は、
あれ1、2年弱でしたっけ?
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岡村:えっと。私は、マスターオブヘルスサイエンスというコースでしたので、
一年間授業受けて、半年インターンシップをどこかでやって、
あと論文を書いて、卒業できるので。まあ、長ければ2年ですけど。
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山本:インターンシップは、国連って、どこの機関でもいいって言っていましたっけ?
岡村:本当に、NGOでも、政府機関でも、なんでもいいんです。はい。
山本:そして卒業して、修士を取った後に就職先は、どことどことどこを考えました?
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岡村:ええと。
私は、実はその、大学院に留学する前に、あの2年間働いていたんですね。
それで、そのときJICAにも、実はいましたし、
開発系のシンクタンクで国際開発センターというのがあるんですけれども、
そこで、研究助手をしたり、あと厚生労働省で研究助手をしたり。
もうなんか、毎日食いつないでいたんですけれど。そういう経験があったので。
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山本:ああ、そうなんだ。
大学を卒業した段階で、JICAの就職は、新卒で…
岡村:いえ。それは、アルバイトです。
今、なんか、あの誇張したわけじゃないんですけれども。(笑)
JICAにいたっていうのは、ほんと、アルバイトで。
山本:ああ??
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岡村:とにかく、保健医療っていう分野に入っていかなきゃいけないんで。
どうしよう、政治学しかやっていなかったので、
で、人に紹介してもらって、医療協力部というところで、アルバイトから始めて。
山本:正職員じゃなくて?
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岡村:じゃなくて。
はい。エントリーとかやりながら、いろんな人をとっ捕まえて、話を聞いてですね。
ODAってどうなっているのかっていう勉強をさせてもらっていたんですけれども。
山本:よかった。あんまりエリートっぽいんで…
岡村:いやいやいやいや
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山本:皆さん、このようにですね、入りたい、JICAとか、UNの下で、
ただ働きや安い給料で、ですね、まず組織に入り込むっていうことが、
重要だということですね。
会場:(笑)
山本:それは、役に立ちました?
JICAで下働きを、雑用をやらされて。
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岡村:はい。まず、そこで、すごいネットワークができたっていうのと、皆さん、
お金がないんだけれどもなんか夢をもって一生懸命学ぼうとしている学生には、
すごく親切なので、いろんな方にお昼ご飯でも、ご飯をおごっていただきましたし。
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山本:食べることね。
岡村:(笑)はい。
山本:はい。わかりました。
では、修士取ってからの本番ですけれども、修士取った後は、JPOですか?
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岡村:そうですね
修士の途中にもうユニセフに入りたいっていう気持ちがすごく強くなっていたので
あの、いろいろアメリカのNGOでも
インターンとかボランティアとかしていたんですけれど。
やっぱり、栄養を本当に、途上国の貧困の戦略??で
真剣にとりくんでいるところは、そう多くはないので。
で、ユニセフにいこうと思ったんですね。
なので、在学中にもう外務省の
ジュニアプロフェッショナルオフィサーをトータル??受けていました。
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山本:JPOを知ってる人。
会場:(しーん)
山本:あ、いないんだ。
山本:JPOを知らない人。
会場:(手があがる)
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山本:あ、じゃあ、簡単に言いますけど。??
国連に入る方法は、約9通りくらいあります。
国連に入るには、国連協定試験??とか、いっぱいあるんですけれども、
一番日本人が入り易い、確立が高い制度が、
日本の外務省がやっている、JPO試験っていうのがあるんですね。
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ジュニアプロフェッサーの略で、
ま、簡単に言うと、日本人は基本的に英語が下手なので、
国連で働く人が少なかったんです。もともと。
日本人、英語下手だから。しょうがないや、ってことで、
日本の外務省が国連の中に、
「ちょっと、やらしてくれよ。頼むよ。」って言ってですね。
「うちで、ちゃんと金出すからさ。」って言って、
「日本の政府が給料出すから、国連で働かせてくれ、日本の人を」って、
そういうシステムをつくったんですね。
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それを、JPO制度っていって、要するに国連職員でありながら、
日本の外務省が、日本が金出していると。
だから、日本人が働くっていう制度がJPOシステムというんですね。
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2年間、外務省から出るJPO試験っていうのに受かると、
ユニセフだのWFPだの??いろんなところに派遣されて、
そこで、もしも優秀な成績を残せると、人によりますけれども、
半分前後ぐらいの確立で、国連に将来残れるかもしれないというのをJPO試験。
とりあえず、2年くらいですかね。
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岡村:そうですね。
今は、2年ですね。はい。
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山本:国連とか、国際公務員に将来なりたい人は、最有力な選択肢、
9通りある国連の就職のうちで、1番確立が高いのがJPO試験です。
この本読んでください??
インターネットで、AE??もしくは、JPOで検索すれば出ると思いますよ。
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