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国際協力師シンポジウム@世界と恋するおしごと

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国連児童基金ユニセフ 岡村さんの9分間トーク

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山本:スリーツーワン、キュー!

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岡村:みなさん、こんにちは。国連児童基金ユニセフの岡村です。

今、東京事務所にいますが、これは仮の姿で、

実はユニセフのスタッフというのは、

9000人から10000人くらいいるんですけど、その9割が現地の事務所

世界に150カ国以上あるんですけれども、そういうところで働いています。

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私自身は、今ユニセフに入って6年目で最初の3年は、

ユニセフネパール事務所というところで

母子の栄養のプラグラムを担当していました。

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ええ、ユニセフって、ありがたいことに

皆さんに名前は知っていただいているんですけれども、

いったい何をやっているのか

こどもと関係があることは知ってる人は多いと思うんですけれども、

一体何のために、何をやっているのかというと、

ちょっと、あの、あまり知られていないかもしれないということが、

たぶん、調査でわかってきたことがありまして、

それは私達にも責任があるんですけれども、

そこの部分から、今日は話してみたいなぁと思っています。

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まずは、これ、私がいたネパール、カトマンズのカトマンズポストという都市

なんですけれどもジャンボジェットが落ちて、200人以上死んだんですね。

大惨事で、全部の新聞とかニュースに取り上げられて、

いろいろ物議がなされて、対策チームができたんですね。

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ただ、同じ数字をちょっと違う目で見てみると、

ネパールでは1日に子供がこれと同じくらい、

ジャンボジェット1台分くらい毎日毎日死んでいるんですね。

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これについて、一体誰が深刻に考えているか、

誰が一体どういうことになっているのか、

防ぐにはどうしたらいいのか、考えているのか。

私は、まだまだいろんな人が頑張っていますけれども、

十分じゃないんじゃないかと思います。

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実は世界中で、もっとひどい国もあります。

こどもが生きられない、こういった状況もあるわけですね。

これだけじゃなくて、生きられたとしても教育を受けられていないこども達が、

一億人以上世界にはいます。

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人身取引で、こどもが売買することも行われていますし,

HIVウイルスの問題もありますし、紛争の中でこども兵士になった人もいます。

私の分野である栄養では、本当には目にはよく見えないんですけれども、

世界中のこどもの3人に1人は、栄養不良なんですね。

こういうこどもの現状のままで、私たちはどうしたらいいのか。

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ただ、ちょっとここで付け加えておきたいのが、こどものパワーなんですけれども、

これは津波のあとの写真なんですが、

本当に大きなショックを受けたこども達がたくさんいて、

こども達は大変な思いをしたんですね。

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だけどそれが、わたしがユニセフのアチェに視察へ行ったときには、

4月だったんですけれども、3ヵ月後。

本当に1ヵ月後くらいに学校を再開してみるとですね、

子ども達が集まって、みんなで遊んだり言葉を交わしたり、

何なりし始めると?本当に元気が戻ってきて、微笑む、笑うんですね。

この、こどもがもっている、今日一日生きる?しか与えられていないけれども、

そういうパワーってすごいなぁと、津波のとき改めて感じましたね。

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これをじゃあ、どうやって育んで、こども達が将来に向かって、

この力、希望を持ち続けて生きていけるか、

それは私たちの責任でもあると思うんですね。

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で、それと同時に、私たちはこどものパワーから学ぶものがたくさんあって、

津波の後、おとな達がいっぱい問題を抱えて大変なときに、

やっぱりこどもが力を取り戻すと親も何かしなきゃ、と力が戻ってくる

そういう光景をよく目にしたと現地のスタッフからたくさん聞きました。

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と、いうことで私たちユニセフというのは、保健機関の中でも、

こどもを対象にして、こどもが抱えている、

社会が抱えているいろんな問題にこどもを通して

いろいろ取り組んでいこうと、そういう任命?を果たそうと思っています。

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ええと、私自身は、もともと政治学を勉強していたんですが、

ある日、あの開発ってすごい広い分野で、私自身すごく興味があったけれども、

いったい何をやりたいんだろうとおもって、

最初、国際開発学科国際公務員ってなんか聞こえがいいなぁなんて思って

飛びついたのもあったんですが、

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何をやりたいか考えたときに、実は私自身、あのちょっと食べることが大好きで、

社会、あの家族とか、食べること貧困っていうのは、

なんかつなげられるんじゃないかと、ふと思い立ったのが始まりで、

いろんな人に聞いて情報を集めたところ、

ユニセフがそういう仕事をいろんな途上国でやっているのを知りまして、

ユニセフに会いに行ったんですね。

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そうすると、お医者さんじゃなくても、管理栄養士じゃなくても、

社会のことを広く見られてコミュニケーション能力もあって、

公衆能力??があって、そういう人材を求めています、と言われて、

もう私は舞い上がってしまいましてですね、

やっぱりこの道をがんばって進んでみようと、

政治学から栄養…どうやって結んでいけばいいのか、いろいろ考えて、

あの公衆衛生の大学を目指したんですね。

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ええ、でも道のりは、そんなに簡単ではなくて、

大学院に受かったんだけれども、お金が無くていけなかったり、

大学院に入ってからも、一週間に5ドル札一枚使うか使わないかを

一大決意を迫られるような貧乏学生生活を送っていたんですけれども、

その過程で支えられて、いろんな人のいろんなビジョンを聞いて、

ああとこんなにがんばっているひとたちがいるんだ、

こんなにおもしろい人生を送っている人達がいるんだというのを肌で感じながら、

ちょっとづつ、一日づつ積み重ねて、

今はユニセフでお仕事をさせてもらっているという状況です。

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で、ちょっとユニセフの話に戻りますと、

こういうかたちでですね、現場で、あの、こどもっていろんな、

こどもはひとりの個人ですから、こどもの成長っていうのは、

親の問題を解決するのを待ってくれないですから、

保健分野とか、栄養分野とか、水、衛生、教育、そしてこどもの保護

心のケアHIVエイズの問題もあります。

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HIVエイズはおとなの病気と言われているんですけれども、

一番被害を受けるのは、こどもなんですね。

親を亡くすとこどもが学校に行けなくなる収入が無くなる

親の面倒をみないといけなくなる。本当にいろんな問題があります。

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そして、こどもを守る家族、女性、

その女性の健康っていうのもすごく難しい問題で、

女性の社会の地位っていうのも大きな影響を与えます。

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と、いうかんじで、ユニセフは活動しているんですけれども、

1つ付け加えておきたいのが、私自身どうして、この分野にはいってきたか、

きっかけなんですけれども、

小さい頃に1年半くらい中東のイランというところに、

小学校のときに住んでいたんですが、そこでですね、

下町を車で走っていると、こども達の服がこう破れたりしているんですね。

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そのときの私には、ちょっと考えられなくて、こどもが破れた服を着ている。

で、そのこども達にじぃっと見つめられたときに、

それがなんかこう、ものめずらしいのか、嫌がられているのか、

羨ましいと思われているのか、よくわからない、すごく不思議な感情が湧いて、

それと同時に、この社会には格差っていうものがあるんだということを

初めて体験したんですね。

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もちろんその時期に格差ということばは知らなかったですけれども、

それが心の中に大きなクエスチョンマークとして

どっかで残っていたと思うんですね。

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その後、日本に帰って来て、すくすくと育って、

そのことについて忘れていたんですけれど、将来何やろかなと考え始めたときに、

疑問がむくむくと大きくなってきて、すごい小さいきっかけなんですけれども、

やっぱりこの疑問に対して、自分は何か答えを見つけ出すっていうことが、

すごく、おもしろいことなんじゃないかと思い始めて、

それで、栄養という分野に入って、ユニセフという組織に出会って、

そのときに、あ、これだ。という気持ちがあって。

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ちょっとした疑問というのと、ユニセフに出会ったときが、

ときめきというんですか、ひらめきというか、そういうものの2つで、

この分野に入ってきたような気がするんですね。

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だから、必ずしも私が崇高な理念をもってとか、

こどもって、かわいくてしょうがないという部分から入ってきたわけではなくて、

何かちょっとしたきっかけ

だけどすごくやりたいとうエネルギーとか情熱というのを

上手に皆さんが育ててくれたので、今本当に充実した日々を送っています。

皆さんも、そういったちょっとしたきっかけを育てて欲しいなあと思っています。

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山本:ええと、じゃあ質問。

ええ、要するに食べることが好きだから、ユニセフに入ったということでしたが、

ユニセフに入ると、いろんな国に派遣されて、

その土地の美味しいものを食べれるから、ユニセフに入ったと、

こう考えてよろしいでしょうか。

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会場:(笑)

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岡村:あの、それは、あとから付いてきたことなんですけれども。

実は。ええと、本当は、私は食っていうことに関心があって、

WFP世界食料計画だとか、FAOの農業機関とか

そういうところに実は行くべきだったのかもしれないんですね。

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だけれど、食べ物から入っていって、現実、ものごとの本質を探ってみると、

実は栄養状態は食べ物だけじゃなくて、いろんな社会生活が関わっているなと、

その複雑さとダイナミックさに気付いてですね、

ああ、これはおもしろい分野だと思って栄養を選んだんですね。

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その結果、もうネパールなんかでは食べ物なんてもう、

その日生きるために皆さん食べている、そんな楽しい話なわけじゃないんです。

なので、私の期待は完全に裏切られましたけれども、

結果的にいろんな国に行って、いろんな食べ物が食べられるので、

私はその面でも楽しませていただいております。

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