NPO法人 宇宙船地球号 補足サイト
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民間組織 02 日本赤十字社・事業局国際部 グランデさん、31歳
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インタビュー 中川
書き起こし 深井
校正 ご本人
監修 山本
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その4. 生い立ち〜大学生まで〜
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中川 はい。ではインタビューのメインパートになるんですが、グランデさんの経歴をこれからお聞きしたいと思いますが。まず生い立ちをお聞かせ下さい。お生まれはどちらですか?
グランデ 千葉県です。
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中川 お父さんのお仕事は?
グランデ 国際活動とは全く関係ない電気メーカーの工場に勤めてました。
中川 技術屋さんだったんですか?
グランデ まぁ、そうですね、技術屋ですね。
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中川 えっとそれでは、小学校時代なんですが。クラブには何か入ってましたか?
グランデ はい。小学校からずっと大学まで、ずっと音楽関係クラブに入っていました。小学校ではトランペットをやっていました。
中川 はい。大学までずっとトランペット?
グランデ 中学ではチューバという楽器をやっていました。これはトランペットより大きい金管楽器です。高校ではオーケストラでチェロを始めました。それは大学に入っても続けましたが、大学2年でやめました(笑)。その後、別のオーケストラに入っていたこともありました。
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中川 話が少し戻ってしまうんですが、高校時代に何か趣味などはありましたか?
グランデ チェロですね。高校で弦楽器を始めて、本当にもう好きで楽しくて、やっぱりそれが一番大きな思い出で、趣味でした。
中川 大学を選ぶときは、やはり音楽というのが基準になって? 大学を?
グランデ 音楽は趣味でやろうと割り切っていたので、あんまりその音大に行くとか、音楽で食べていこうっていうのは思いませんでした。
中川 はい。
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グランデ 大学は外国語学部でした。元々海外に興味があったっていうのが外国語学部を選んだ理由です。漠然としていますね。別に帰国子女というわけでも、両親が海外を相手にした仕事をしていたわけでもありません。漠然とした海外への興味というのがあったというだけです。
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グランデ 高校2年の夏休みに2週間、本当に2週間という短い期間でしたが、アメリカにホームステイに行かせてもらえました。その時に滞在したのが、南カルフォルニアのサンディエゴの近くの町でした。たった2週間なので、1〜2年留学している人に比べれば、遊びに行ったようなものだと思います。それで、その時にアメリカの生活に触れて、自分にとっては非常に貴重な体験となりました。それから、サンディエゴなのでメキシコの国境に近いんですよね。
中川 はい。
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グランデ それで、ホストファミリーが週末に、国境を越えてティファナというメキシコ国境の町に連れて行ってくれました。今考えれば、ドルも英語も使えるアメリカ的な町なのかも知れないですけど、初めてアメリカ以外のメキシコという国に行って、何か違う世界を見たような気がしました。アメリカの生活は確かに日本とは違いましたが、なんとなく日本の延長というか、日本がアメリカに似てしまったと思います。だからアメリカではそれほどカルチャーショックを受けませんでした。
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グランデ しかし、国境を一歩越えて、螺旋状のドアをくぐっただけで、何か違う世界が広がっているように見えたんですね。それで「世界には日本とは違った世界もあるんだ」と初めてそこで思って、結局それが大学の志望にもつながって、今の日赤にもつながってきています。
中川 うーん、なるほど。
グランデ 違う世界があるんだなっていうことで、たまたまメキシコがそのときスペイン語圏だったということで、中南米を研究・勉強してみるのも面白いかもしれないなと思いました。それで志望したのがスペイン語学科です。
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グランデ 結局ただそう言いつつも、アメリカの研究とかもしてみたいなとかも思って、英語学科に興味があった時期もありました。迷ってはいましたが、結局最後はセンター試験の結果も考慮して、最終的にスペイン語に決めたという、現実的な選択です(笑)。
ただ結果としてそのときに英語学科に行かなくてよかったなと思いましたね。それは入ってから、日赤に入ってからもつながってきますが、スペイン語というのをやっていたからこそ、与えられたチャンスとかもあったので。スペイン語を勉強して、中南米に興味を持って、それが今につながっていると思います(笑)。
中川 んー、なるほど(笑)
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