NPO法人 宇宙船地球号 補足サイト

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国際機関 02 国連 Peece Keeping Best Practice 勤務 小野京子さん 32歳

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12/5/2006  at New York
インタビュアー: ETSボランティアスタッフ 山賀緩子 (ヤマガヤスコ)
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世界の紛争地帯に派遣される国連平和維持軍(PKO)のヘッドオフィスである、
ニューヨーク国連本部Peacekeeping Best Practicesに、
2006年秋、赴任された小野京子さん。
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今回は、まだ赴任されて間もない小野さんの貴重なお時間をいただき、
これまで歩んでこられた道についてお話をうかがいました。 
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■ 第一章 ■ 生い立ち〜中学時代

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アパートと、ダンボール

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山賀: お引越しの途中だそうで?

小野: まさしく昨日、東京から荷物が届いて、ダンボールの中で生活しています(笑)。

山賀: 詰めるより出す方が大変ですよね?考えながら整理しなきゃいけないから。

小野: 東京もひどいですけどニューヨークもひどいですよね。スペース的に。昔、ニューヨークに住んでいていなくなってまた戻ってきて、そのときよりさらに物が増えているんですよ。だからアパートが若干前より小さいというのもあるんですけど、ニューヨークのリミテッドスペースの中で、「ああ、このダンボールどうしよう」って(笑)。 

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山賀: 前にニューヨークにいらっしゃったんですね。いつごろだったんでしょうか?

小野: えーっと、2年前くらいになりますね。

山賀: 今回が2回目のニューヨークですか?

小野: 結構出たり入ったりが多いんですよ。4回目くらいですね。

山賀: そんなに!では、今からそこまでのいきさつをたっぷりうかがいます。

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人格はエジプトのカイロで形成された!?

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山賀: さっそくですが、お生まれはどちらですか?

小野: 生まれたのは日本の埼玉です。母の実家が埼玉なので。

山賀: 小さな頃から、海外のあちこちに行かれたとうかがいましたが?

小野: そうですね、父が転勤の多い仕事に就いていたものですから。最初の海外は3歳でエジプトのカイロでした。

山賀: カイロ!

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小野: はい。で、母親曰く、そこで私の人間の根本的な、こう、ちょっとマイペースなちょっとおっとりした、そういう部分がそこで形成されたそうなんです。

山賀: カイロはのんびりしているのかな?

小野: のんびりというか、アラブ人の…ちょっとまあ、最終的には「時の流れと神に身をまかせ」みたいな…時間の流れが全然違いますね。気候的にも暖かいじゃないですか。だからちょっと「ぽ〜ん」ていう雰囲気が常にある。そこに3年半。

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山賀: 小学校へ入る前ですね。現地の幼稚園に行かれたんですか?

小野: ええ。でもなぜかフランス語の幼稚園にいきなり入れられて。両親が話すわけでもないのに。昔やっていた絵を見ると、フランス語の文字らしきものが書いてあるんですけど、自分で何書いているか全然わかっていないと思うんですよ。全部真似して(笑)。

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最初に頭にたたきいれた英語は、「トイレはどこですか?」

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山賀: カイロのあとは?

小野: アメリカのサンフランシスコに3年。現地の小学校に行って。

山賀: その前のカイロでは、英語は使っていたんですか?

小野: 幼稚園ではフランス語で、あとはアラビア語。アラビア語喋っていたらしいんですね。で、家では日本語です。

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山賀: じゃあ、サンフランシスコに行った時は…。

小野: 英語をゼロからやって。一番初めに学校に行ったときに母親に教えられたのが、「トイレはどこですか?」っていうフレーズ、それ一言!

山賀: ん〜、大事!

小野: あとはやっぱり周りをみて真似することしかできないですよね、わかんない時って。日々セサミストリートを見たりとか、そういうので英語を覚えていきました。

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山賀: サンフランシスコなら日本人が結構いたのでは?

小野: そうですね、月2回土曜日に日本人学校に行きました。

山賀: ニューヨークの日本人の子たちもそうですね。普段は現地の小学校に行って、週末は、日本語を使う補習校に。でもやっぱり英語に接する時間が長いので、どんどん忘れちゃうみたいですね。だから、親が日本語をキープさせようと気を遣っている。

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小野: 私の場合、両親は別に気にしなかったみたいで(笑)。もちろん両親と話しているので話すのは問題ないんですけど、読み書きっていうのが…私、全然予習復習していくようなタイプじゃなかったんで、ほんと、「土曜日学校に行くことに意義あり」って感じで、漢字のテストなんて10点満点中1点とか(笑)。そういうレベルで3年間過ごしました。でも結構、習い事はしていましたね。

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山賀: え〜、何を習っていたんですか?

小野: サンフランシスコの時はバレエ始めて、あとは体操やって。

山賀: 体操?平均台とか?じゃあ、大会なんかもあったんですか?

小野: そういうレベルじゃなかったと思いますよ。小学校1、2年なんで、「でんぐりがえし」とかそういうレベル(笑)

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せっかく同化しようとしているのに!

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山賀: サンフランシスコの次は?

小野: 日本に帰って、小学3年から中学3まで6年間いました。まあもちろん大変でしたよね、学校が。しゃべり・聞くは平気だったんですけど、やっぱり「書き」がね。漢字が一番大変だったかな。そのときは横浜で、インターナショナルスクールでなく、地元の学校に行ったので。

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山賀: 習い事の方は?

小野: 小学校の時はバレエを続けました。あとは水泳、ピアノ、日本舞踊。なんか体動かすのばっかりでしたね。

山賀: 鍛えていましたね〜。

小野: 頭の方は全然、塾とかそういうレベルじゃなくて。全部「体」ですね(笑)。母親が学生時代テニスをやって、スキーやゴルフもやってスポーツ好きなので、それの影響もあるんだと思います。

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山賀: 海外から戻ってきて、学校でいやな目にあったことはありませんでしたか?

小野: 母親曰く…私あんまりそこの部分記憶にないんですけど、ある日、洋服のことで何か言われたんだと思うんですよ。その日以来、向こうから持って帰った服を一切着なくなったらしいんですね。だからちょっとは。

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山賀: 帰国子女が、「みんなと違う」とみなされて、否定されたり、からかわれたりと、何かしらの苦労をするのはよく聞きます。

小野: 逆パターンであったのは、中学の英語の授業で、先生が「じゃあ、小野さん発音やって」と言って、みんなの前で読まされるんですよ。それがすごく嫌で。先生は私の得意な部分を良かれと思って引き出しているんでしょうけど、子どもにしてみれば、同化しようとしている部分をあえて曝け出されて、ちょっと嫌でしたね。

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