NPO法人 宇宙船地球号 補足サイト
.
「国際協力師シンポジウム@世界と恋するおしごと」
.
その2. JICA廣澤さんの9分間トーク
.
山本:と、いうわけで。では、最初に、廣澤様の方から。
.
廣澤:皆さん、こんにちは。
私、廣澤と申します。座ったままで、失礼いたします。
私は、今日は東京からまいりました。
新宿にありますJICA国際協力機構というところで仕事をしております。
.
お手元に、私がおりますJICAのですね、白いパンフレットと、
恐縮ながら私の職歴ということで
書かせていただきました両面刷りのA4サイズの紙を
お配りさせていただきました。
今、山本先生の方から9分ということで、お時間いただきまして、
お話をさせていただく訳ですけれども。
.
最初に、私が今います、JICAのお話をさせていただきます。
ご存知の方もおられるかと思いますが、紹介させていただきます。
私の職歴の書いた紙の裏側をご覧いただきますと、2面ございまして、
左側のほうに、ODAとJICAの役割について書いてありますが。
.
ODAという言葉は、新聞等でもご覧になられておられるかと思いますが、
日本の政府の行っております政府開発援助、
オフィシャルデベロップアシスタンスというものでございますが。
資金援助と技術協力でございまして、
この中の技術協力という部分を担当しておりますのが、
JICAというところでございます。
.
どういったことをするかといいますと、
例えば日本から困っている国といいますと言い方が適切かどうかわかりませんが、
いわゆる開発途上国に対して人を送ったり、物を送ったり、
あるいは向こうの国から人を受け入れてこちらで技術を学んでいただいたりと、
そういうことを行っています。
.
JICAの中で私を含めまして、約1400人の職員がいますけれども、
この1400人が全員、直接現地に行って技術を教えたりするわけではありません。
実際に現地に行ってそういうことをしていただくのは
JICAの職員以外の本当に日本国中の方々にご協力いただいています。
.
JICAの1400人が何をしているかというと、
そういう方々と現地の困っている方々とつなぐ役割ですね。仲介役をしています。
で、現地に行ってどういうことが困っているか調べてきて、
日本に帰って来て、どういう方々がいるかを調査して、そのマッチングですね。
困っている人と日本の人材をマッチングさせる仕事を
私を含めJICA職員はしているというところです。
.
JICAは、私今、新宿から参りましたと言いましたが、本部が新宿にありまして、
だいたい700名の職員が勤務しています。
それ以外に、日本国内に14箇所の支社がありまして、
この名古屋にも中部センター、JICA名古屋を設けていますが、
国内に14の支社、そして海外に54箇所の在外事務所、
それから駐在事務所、全部で103ありますが、
そういう支社をおいて活動を行っております。
.
今のお手元の紙の右手をご覧いただきますと
JICAの取り組みということで簡単に書いてありますけれども、
中心問題ということに、貧困問題を挙げて、それを取り巻くかたちで、
いろいろなキーワードが書いてありますけれども、本当に幅広くやっています。
.
食料、教育、インフラ、経済活動、居住環境、保健、医療と書いていますが、
まだまだこれ以上、これ以外にもたくさん問題をかかえておりますので、
こういったことに対してですね、
どういったアプローチができるかということを日々考えながら、
できることできないことがありますが、
できるだけたくさんのかたちで援助できるようにやっています。
.
私の仕事ですけれども、裏面を見ていただきますと、私の学歴を書いてあります。
簡単に申し上げますと、私はJICAに入る前は、青年海外協力隊という、
名前はお聞きになったことのある方もいらっしゃるかもしれませんが、
そちらの方に行っていました。
大学時代に試験を受けて、無事合格しまして、隊員となっています。
ガーナという国で高校の先生をしていました。
.
で、帰って来て協力隊訓練所というところで、指導員をしながら
JICAのほうの社会人採用の試験を受けまして、2004年の1月に入行しました。
当時29歳で、今は3年目の32歳になるところです。
.
今、2つの部署を経験しているのですけれども、
一つ目の部署が国際救助援助隊の支部局というところ。
災害が起こったときに、国際救助隊が派遣されるということを、
もしかしたらニュース等で、お聞きになったことがある方もいるかもしれませんが、
そういうときに救助チームや、医療チームを派遣する仕事をしていました。
.
先程も申しましたが、私自身が主役ではなくて、
行っていただくのは、救助をする現場の方。
日本でいうと、警察や消防の方、海上保安庁あるいは、医療関係者、
お医者さん、看護師さん、そういった方々を派遣して、向こうで活躍していただく、
縁の下の力持ちといつたらカッコは良いですが
そういった黒子の役割を私していました。
.
私自身も一度だけ同行させていただいたことがありまして、
それが、下に書いてあります、
2004年11月に起こりましたスマトラ沖大地震の大津波災害の時に
スリランカに参りました。
.
それから2006年5月からは、また部署が変わりまして、
JICAというのはずっとずっと3年くらいずつで部署が変わりまして、
今は社会開発部というところにいます。
.
で、社会開発部にもいろいろな仕事があるのですけれども、
その中の運輸交通というところを担当しておりまして、
下に5つ書いてありますけれども、ちょうど今この中の一番上にございます、
エチオピア橋梁?技術開発プロジェクトの立ち上げを行っておりまして、
ついおとといまで、2週間ほどエチオピアの方へ実際に行っていました。
.
橋梁ということで、今エチオピアのほうで橋が、
だいたい50年60年、70年くらい前ですかね、
イタリアが征服していた時代に作った橋がずっと残っているのですが、
二次管理を全くしてこなかったんですね。
.
というのは、イタリアが作って引き上げるときに、
設計図とかを持って行ってしまったったりとかして、橋がそのままになっていて、
今まさに崩れ落ちそうになっていて、だいぶ危機的な状況なんですが、
橋梁の二次管理をしっかりしていこうということで、
私どもがするんではなくて、エチオピアの人たちがご自身でできるように、
何とか体制を作ってですね、サポートしていこうというところです。
.
現地でこれから、2年間3年間こういったプロジェクトをやっていくんですが、
実際にどうやったらよいかという調査をしてきたところです。
で、まあ、ここにもありますように非常に多くのことがですね…
.