NPO法人 宇宙船地球号 補足サイト

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国際機関 02 国連 Peece Keeping Best Practice 勤務 小野京子さん

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12/5/2006 at New York
インタビュアー:ETSボランティアスタッフ山賀緩子(ヤマガヤスコ)
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世界の紛争地帯に派遣される国連平和維持軍(PKO)のヘッドオフィスである、
ニューヨーク国連本部Peacekeeping Best Practicesに、
2006年秋、赴任された小野京子さん。
今回は、まだ赴任されて間もない小野さんの貴重なお時間をいただき、
これまで歩んでこられた道についてお話をうかがいました。 
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■ 第四章 ■ 就職、そしてJPO合格

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みなが驚いた、意外な就職先とは?

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山賀: それで、大学院卒業後はどうなったんでしょう?

小野: 卒業後は…。実は時々によって人の発言っていうのがキーになっているんですけど、そのとき言われたのが、「国際機関に入ってから私企業に移るのはすごく大変だけど、私企業に行ってから国際機関に移るのはまだできるよ。」って。で、はっきり言って私、職歴がインターンしかなかったんで、「うーん」って悩んで、実は、銀行に。

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山賀: えー、銀行!?意外ですね?

小野: で、銀行に行って、ま、それは特定の…開発経済をやっていた関係で、プロジェクト・ファイナンスという。

山賀: ああ、では、結びつかないわけじゃないですね。

小野: ええ。それって開発途上国が大きなプロジェクトをやるときに一般の銀行がそれに出資をするっていうものなんですよ。で、その授業を取っていて「ああ、面白い分野があるんだ」ってその時知って、で、たまたまた就職活動をやり始めた時に、東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)でプロジェクト・ファイナンスで人探しているっていうんで。で、その部署で雇ってもらって。

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山賀: 私企業に行く必要性も感じていたんでしょうか?

小野: 必要性というか…私は若干変わっているのかもしれないけど、結構こう…いろいろやってみたいタイプで(笑)。で、国連の選挙監視部でインターンした経験が興味を持つひとつのきっかけだったんですけど、インターンをやっていたときにやらなければいけなかったタスクのひとつが、ドナー国(加盟国)からのファンドレイジング(fundraising/資金調達)。選挙監視用に使える資金をくださいっていう活動、まあPRを兼ねてですね。で、その時に、「え、国連がファンドレイジングなんてするんだ!」と。

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山賀: それは私も驚きました。しかも、「選挙」だったら予算がつきそうな気がしますが。

小野: じゃないんですねえ。それぞれドナー国がそのひとつひとつの選挙によって出資をするんです。決まった額があるわけではなくて。なので、それに対して活動をちゃんとしなければいけないんですよ。その時に「へえ〜」と。

小野: そこでやっぱり、「プロフィットマインド(※利益や採算性を求める考え方)」というのが必要なんだなと気付かされて。で、そういうマインドって私、まったく持っていないタイプなんで、「そういうのを養うのも悪くないかな」という考えも若干ありました。それで最終的に銀行へ。

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山賀: それにしても、周囲の人たちはその決断に驚いたでしょうね?

小野: ええ、かなり(笑)。銀行、それも東京三菱なんてちょっと保守的な…。「外資系企業じゃないし!」みたいな(笑)。

山賀: でも、実際やっていたことは、そんなに離れたことじゃないですよね?

小野: そうですね。

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山賀: それで、東京三菱ではどのくらい?

小野: 結局1年半しかいなかったんですけど、それは、大学院時代に「JPO(Junior Professional Officer)」っていう日本政府がお金を出して、日本政府から国連機関に人を送る2年間の制度があって。その願書を大学院中に出していたんですね。それは1年半くらい採用プロセスに時間がかかるんですよ。それで、銀行に勤めている間に受かったっていう連絡が来て。

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小野: 相当迷いましたね。すごくいい部署ですごく人に恵まれていて、優秀な人たちの中で仕事ができるのはすごく面白かったし、そのままいても世界銀行などに出向のポストがあるんですよね。だから、そういう路線も悪くないかなって。

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山賀: そういう道を描きつつあった時に。

小野: そうなんです。それに、銀行はそのままいれば一応首は切られないだろうけど、JPOに行ったら2年で終わっちゃってその先がどうなるんだろう?っていうのがありましたし。でも、最終的に後悔しない選択肢は何かって考えたときに、「働くチャンスがあるなら、国連に行こう」って決断しました。

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ニューヨーク国連本部へ

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山賀: さて、JPOで採用が決まり、どの国連機関に派遣されたんでしょうか?

小野: JPO制度って通常、「フィールド」って言われている発展途上国に送り込まれるんですけど、私のときはちょうど、日本政府が「それじゃいけない、国連本部に人を送るべきだ」って考えを変え始めていたんですね。それで私はモルモットとして(笑)、ニューヨーク国連本部の政務局へ。

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山賀: 第一号だったんですか。

小野: JPOとしては。それで、アフリカ担当ということで派遣されて。

山賀: そこで2年?

小野: そこで結局1年半ですね。そこは、なんで1年半かっていうと、最初の頃は担当していなかったんですけど、途中からスーダンの担当をしている人の手伝いをさせてもらって。その頃、スーダンに国連平和維持軍(PKO)を送るっていう構想が出始めていて、結構本部がわさわさしていたんですよ。

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山賀: 何年くらいのことですか?

小野: 2003年の4月に本部に来て…その半年後くらいですね。私がスーダンに関り始めたのが。それで、PKOを実際に派遣するって決まったのが…PKOというか、最初は政治ミッションだったんですけど、それが2004年の8月ですね。それで私はフィールドの経験がなかったんで、行きたいなあと思っていたんで、上司に「行きたい」と言って、じゃあ上司の補佐官として、なんて話をしていたんです。

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小野: その矢先に、そのスーダンのPKOの「長」がいるんですけど、英語で言うと、「Special Representative of the Secretary-General」、日本語で言うと、「国連事務総長特別代表」になるかな。

山賀: 事務総長の直轄ということ?

小野: そうですね。そういう人が必ずPKOに任命されるんですが、ちょうど私がスーダンに行くっていう少し前に、その特別代表が、「自分の周りの人材は自分で採用したい」って言い始めていて。それで、いくつかポストがあるうち、それぞれ3人くらい候補の名前を連ねて、その後インタビュー(面接)したいって話になったんです。

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小野: で、私は人数集めのために「じゃあ、名前のっけておくから」って言われて、で、インタビューを受けて。インタビューっていっても5分くらいですけどね。そこで代表から、「どうせ採用されなくっても、他の人と一緒に来るんだよね?」って言われて、「あ、そうです」って。だから、その時点で「だめだったな」って思って。まあ、別に私はそういうつもりで最初からリストに載っていたわけじゃないんで、面接を受けるだけ受けて、「どうもありがとうございました。」みたいな(笑)。

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小野: ただ、彼がニューヨークにいたその一週間、自分の仕事として、彼のお世話をしなければいけなかったんですよ。ミーティングなんかも全部一緒に回って。

山賀: かつての国際交流サービス協会でやっていたような…。

小野: そう、あれと変わらないですね。どこでスキルがどう生きるか本当にわからないですね〜。

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小野: で、その一週間が終わったときに、彼は現地での人材を全部決めるって言っていて。で、私は彼ととにかく息が合って、結局彼に、「一緒に来てくれるか」って言われたんです。

山賀: わあ、まるでプロポーズ!

小野: で、その2、3週間後に、最初6ヶ月のつもりで補佐官として行って。でも、結局私はスーダンに14ヶ月もいました。

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