NPO法人 宇宙船地球号 補足サイト
ケース02 「ちゃー」さん
マザーテレサの家、体験レポート
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2007年4月2日
文責:20歳 看護学生 ちゃー
編集・ご意見板?:たっくん 広島市立大 国際学部(10時間以上手伝ってくれました☆)
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?.行く方法をどうやって見つけたか
Googleで「マザーテレサの家」で検索すると、トップにあがってきます。CEC文化教育交流会の海外ボランティア留学プログラムのホームページを利用しました。
?.なんという団体(旅行会社・NGO等)を通したか?
「CEC文化教育交流会」を通しました。
Q.費用はいくら?
A.CECプログラム費用は、1週間:70,000円、2週間:95,000円、3週間:120,000円、4週間:145,000円と一週間単位で選べます。これが基本です。航空券が往復105,000円、インドVISAが約6000円で、現地には50,000円持って行きました。
Q.何泊何日か?
A.1週間単位でえらべます。
Q.どこに泊まるか?
A.ホストファミリー宅になります。
Q.食事はどうする?
A.朝夕はホストファミリー宅で、昼食は外で食べます。一食200円あれば十分です。安くておいしい中華や韓国料理のお店があります。(もちろんインド料理もありますが、朝夕がインド料理のため、昼食は貴重な逃げ道です。)
<含まれるもの>
1)コルカタ空港からホストファミリーまでの送迎
2)ホストファミリーからコルカタ空港までの送迎
専用車による送迎です。ドライバーとコーディネーターが迎えてくれます。
3)ホームステイ滞在費用(2食つき)
昼食はボランティア仲間と一緒に外食するのが普通です。
サダルストリート(外国人の安宿街)のレストランで一食200円程度です。
4)1日市内観光とオリエンテーション
治安の悪い場所の確認など、街を良く知るための大事な機会。
コーディネーターは日本語が堪能で、プロのガイドの免許を持っています。
マザーテレサの施設の登録もお手伝いしてくれます。
5)プライベート英会話レッスン(週5日)
一日1時間30分程度。英会話で文化交流するのが目的です。
現地の言葉ベンガル語を覚えたい方はそれでもOKです。この語学レッスンは現地の人たちと交流をするために、とても有益な時間です。このプログラムの長所のひとつです。
(ただし、インドなまりが激しい英語のため、私は馴染めず…ルームメイト共々ボイコットしちゃいました。)
6) 滞在期間中の現地でのケア
現地コーディネーターは日本語も堪能です。現地でのアドバイス、困ったことがあったときの解決の手伝いをしてくれます。
<含まれないもの>
1)コルカタまでの往復航空券(多分7万〜15万くらい)
2)昼食費 200円程度 ボランティア仲間と一緒に食べに行くのが普通。
3)現地交通費 ホームステイ先から施設まで50円程度
コーディネーターや家族が施設までの行き方をお教えてくれます。
コルカタは安全ですからバス、地下鉄など安心して利用ください。
4)チップなど タクシーなどで若干20-30円程度渡します。
一度サダルストリートのゲストハウスのドミトリールームに泊まりましたが、快適でした。ボランティア先にも近いし、一泊70ルピーくらい(200円程度)で泊まれるため、お財布にもやさしいです。いろんな方と交流を持つことができるため、私はホームステイよりもおすすめです。
?.交通はどうしたか?
Q.インドまでは?
A.タイ航空、バンコク経由コルカタ行きでした。エアインディアでデリー行きのチケットが安いとの情報を友人に教えてもらいましたが、詳しいことは分かりません。安いのは魅力的ですが、二重予約になりやすかったり、時間通りに便がなかったり、何かとトラブルも多いようです。
Q.インドに着いたあと、マザーテレサの家までは?
A.マザーテレサの家まではホストファミリー宅から徒歩15分+バス+地下鉄で一時間くらいかかりました。
?.マザーテレサの家にはホスピス、ハンセン病、孤児院などいろいろあるが、その施設の全貌について。
登録制で、決められたマザーハウスに通います。友人たちの体験も含めてまとめました。
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コルカタのマザーハウス
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カリガート:文責 ちゃー
通称、死を待つ人の家。
―「人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、自分はこの世に不要な人間だと思い込むことだ。そしてまた、現世の最大の悪は、そういう人にたいする愛が足りないことだ。」そう確信したマザーテレサが、一番初めに立ち上げたマザーハウス。誰にも見向きもされなかったかもしれない、路上で生まれ路上で死ぬ身かもしれない、でもせめて死の瞬間だけでも人間らしくさせてあげたいというマザーテレサの想いから創設された。―
(沖守弘著 『マザー・テレサ あふれる愛』 講談社文庫 2006年)
入居者は年齢層も病状も様々でした。入居者もスタッフも男女で分かれるため女性側の状況しか把握できませんでしたが、活動初日には感染症の方が結核一名、水痘症一名でした。隔離はされていません。施設にはマスクと手袋とエプロンが置かれています。原因の病気は分かりませんが(管理ノートがあり、おそらくシスターは把握している)腹水が溜まり、お腹が出ている方がたくさんいました。しかし病院ではないので根治療はしません。入居者候補はボランティアやシスターが施設へ連れてきます。状態が良くなってストリートへ戻される方も少なくありませんが、居心地がいいため、皆施設を離れたがりません。スタッフに混ざって、他の方の世話ができるような入居者もいらっしゃいました。
カリガートにはベテランボランティアの日本人女性Sさんがいらっしゃって、新しいボランティアが来るたびに施設について説明してくださいます。印象に残っている入居者は、陰部が赤くなっており、そこが破れて蛆虫が出てきてしまっていたという方です。Sさんの話では、おそらくエイズ陽性で、娼婦だろうとのことで、入ってきたその日に亡くなってしまったそうです。
プレムダン:文責 しんちゃん
男女で別々の棟で暮らしている。だからボランティアも男女に分かれて仕事。自分は男性なので、以下は男性の棟での話になっています。
シスターが2,3人と、見習いシスターさんが数人。あと職員の人?が3,4人。ボランティアの人数は日によって違うけど、10人以上は毎日いたかな。
患者さん数はよく覚えてないけど、1階に確か60〜70人くらい。2階もあるけど行ってないので分からず。患者さんは歩ける人、元気な人が意外と多い。ボランティアの助けがほとんど要らない人もいる。英語を話せる人もいるので、ボランティアが多くて仕事がない時は話ばかりしていた日もあった。
ボランティア同士も、皿洗いしながらよく話した。ボランティアはいろいろな国から来ていて、自分が話した人だけでも、カナダ、ドイツ、フランス、ポーランド、中国、台湾、韓国、、、 彼らと話をするのはおもしろい。
シシュババン:文責 けいこ
孤児とハンディキャップを持った子供たちの家。建物の中で二箇所に分かれている。
身寄りのない孤児の子だけど、誰がどんな風に連れてくるのかはちょっとわからん(>_<)ハンディキャップのない孤児の施設は、養子縁組のために保育園みたいになっていて、英語のレッスンがあるみたい。
ダヤダン:文責 ますみぃ
年齢層は5歳〜15歳ぐらいやな。一階は前回数回行っただけやからあんまり詳しくないけど、基本は一階男の子(比較的軽度の障害の子)、二階女の子(障害が重度の子が多く男の子もいる)身体・精神障害の子供達で同じ障害でなくいろんな障害の子がいる。程度も軽度から超重度の子がいる。人数はあんまわからんけど二階だけで30人以上いるかな。
シャンティダン:文責 ちょろ助
バングラデシュで刑務所に入れられて暴行を受けていた人、体を売るのを強要されていた女性をマザーテレサがコルカタで引き取ると言って立てられたところらしい。あとは親や頼る身元がいない女性。自傷行為に走る女性。知的障害が入ってある女性の方もいらっしゃいます。同施設内に赤ちゃんやちっちゃい子達用の施設があって、その子達は親に捨てられたり、身元がない子達だそう。
前に挙げた女性の施設には3、4人のHIVに感染した子達がいて、子供用施設とは別に世話されていた。
ナポジボム:文責 ますみぃ
ナボジュボンは一回行った。年齢層はダイヤダンより上で青年って感じかな。あとは他にアル中やヤク中の人がいるみたい。施設は比較的大きく中に公園があった。人数は少ない印象かな。一日ボランティアしただけやから参考程度に☆
チタガール(ハンセン氏病患者の村):文責 ちゃー
第一・第三木曜にお見舞いツアーがあります。村の中をブラザー(修道士)の説明で、一時間程度見学することが出来ます。当然ですが、すべて英語による説明で、英語力の貧相な私にはあまりよく分からず…(苦笑)以下、文献によるものです。
―1957年、仕事先をほうりだされた五人のハンセン氏病患者が、マザーをたよってきた。これをきっかけに設立。マザーたちはカルカッタから20マイルのところにある製紙工場と発電所の町チタガールの国鉄用地を無料で借りることに成功した。マザーは、その空き地に、まず竹とアンペラで編んだ粗末な病棟を作った。治療がはじまり、働ける患者がふえてくると、彼らの力でレンガ積みの病棟づくりがはじまった。働ける患者たちは、二棟の病棟と織機五十台を持った織物工場、それに二十五世帯の家、外来診察室や事務所などを不自由な手足でみごとに完成させた。また、古い織機でベッドシーツやサリー、枕カバーをつくり、池を掘って養魚をはじめ、あるいは養豚や養鶏をはじめて現金収入を得るようになるなど、いわばチタガールの一角にコミューンを築きあげたのである。―
(沖守弘著 『マザー・テレサ あふれる愛』 講談社文庫 2006年)
バラナシのマザーハウス:文責 ちゃー
旅行に行っていた友人の話を聞き、急遽訪問。コルカタから電車で片道14時間のところにバラナシという街があります。マザーハウスはガンガー沿い、シバラガートの近く。ボランティアワーカーもマーシィ(現地スタッフ)もかなり少なく、あまり有名ではない様子でした。そこで世界中にマザーハウスがあることを知りました。日本にも3か所(東京・名古屋・別府)あります。雰囲気はプレムダンに似ていると聞きました。自分のことを自分でできる方も何人かおり、入居者と一緒に仕事をしてきました。
? それぞれの施設でどんなボランティアができるか?
カリガート:文責 ちゃー
食事配膳(朝・昼)、食事介助、手洗いの手伝い(ご飯を手で食べるため、食後に洗面器で手を洗う)、食事後のベッド掃除、約100人分の食器洗い(すすぎ→洗浄→すすぎ→拭きの流れ作業)、排泄介助、おむつ交換、寝衣交換、大量の洗濯(洗う→干す→畳む)、爪切り、耳掃除、手浴・足浴(寝たきりでマーシィがシャワーを浴びせられない人たちのため)、配薬の手伝い、マッサージなど。
ペイシェントルームと、洗濯場、食器の洗い場は同時進行で仕事があるため、人の足りないところを探し、自分で仕事を見つけます。
プレムダン:文責 しんちゃん
仕事は朝8時頃から。洗濯、ベッドメーキング、床や庭の掃除、患者さんを庭に連れ出してあげたりもする。(庭に出るのは男性のみだった。なぜか女性は外に出ない。男女があまり一緒にならない文化だから?)シスターやベテランの人が患者さんに薬をあげているうちに、マッサージしたり髭剃りをしてあげる。ミルクを配ったり、窓拭きをしたり。10時半頃からチャイ(お茶)の時間。紅茶とビスケットとバナナがでた。この時は、男女ボランティアが一緒にチャイをいただく。チャイの後は、昼ごはんを配って、自分で食べれない人には食べさせてあげる。昼ごはんは毎日カレー。たまに大きなチキンがついたり、フルーツがついたりと、おいしそうだった。おかわりを欲しがる患者さんが多くて、いつもご飯がなくなる。食事が終わると皿洗いや、床掃除して、12時過ぎに終了。
シシュババン:文責 けいこ
だいたいの朝と午後のボランティアのスケジュールは
AM8:00
子供たちの朝食介助
終わった子供からオムツを替える
9:00
エキササイズ
10:00
休憩
10:30
昼食を待っている時間で、子供たちと遊んだりコミュニケーションをとる
11:00〜11:30
昼食介助
これが朝の仕事☆
PM3:00
子供のおやつの時間
3:30
エキササイズ
天気の良い日に動ける子を連れて、公園で遊ぶ。
4:30〜5:00
夕食介助
これが昼の仕事☆
あとは、その日のボランティアの人数で、洗濯をする人がいたりって感じ!エキササイズは子供たち一人ずつのファイルがあって、そのファイルの説明や写真を見ながらやっていく感じ。
ダヤダン:文責 ますみぃ
オムツかえ、ベッドメーキング、着替え、掃除、洗濯(洗う・干す・たたむ・運ぶ)、食事準備・片付け、食事介助、子供達に勉強を教える(英語・算数など)、リハビリ、子供達と遊ぶ(滑り台やおもちゃはあるけど公園はないと思う)。
俺は「子供達と遊んであげること」が一番大事やと思う。遊ぶことは子供にとっていい刺激になって脳が活性化されそのぶん成長が促進されると思うから。
あっ、あとリハビリも重要!子供達にはまだまだ可能性があるし、人生始ま
ったばっかでこれから長いし、少しでも不自由なく生活できるようにADLを
高めてあげたい。(お年寄りの方にはリハは必要ないって事ではないので間違え
んといてな)まっ、これらは俺の考えやけど…。
シャンティダン:文責 ちょろ助
あたしは女性の方の施設だったんだけど基本やることはその場で臨機応変に決めてたよ。早めに着いたらベッドメイキングをしたり。洗濯の手伝いや、掃除の日だったら掃除の手伝い。何もなさそうだったら、もっぱら女性の方の話し相手だね。ビンディー(既婚女性を表す、額につけている丸い赤いもの)貼ったげたりネイルを塗ってあげたり、マッサージをしてあげたり、歌や話を聞いてあげたり、絵を一緒に描いたり。そんな感じですね。
ナポジボム…報告なし
バラナシのマザーハウス:文責 ちゃー
洗濯(洗う・干す)、病室の掃除(水浸しにして洗い流すがすぐに乾く。カリガートでは同じ方法でマーシィがやる)、食事作り(チャパティ作り、野菜切り。下手だとマーシィに却下されてやり直し。泣)
男性側の洗濯は牛と一緒にガンガーでしていました。(…キレイになるのかな?)毎日ではなくて、「たまに」らしいです。
? 以上を行って役に立ったか?また何を考え、本当に意味のある国際協力とはどんなものだと思うか?
自分自身にとっては大変、意義のある一ヶ月間となりました。いろいろな国の人、考えを持った人と接することが出来て、またボランティア先や町中で、日本とは違う世界を見て、以前と比べて視野が広がりました。
一方で、私は相手にとって、役に立てていたのだろうかと振り返りました。たった一か月でしたが、どうしたらいいのか分からない疑問も持ちました。ボランティア先の入居者さんに対しては、毎日様々なケアを行ってきましたが、施設から一歩外に出たところにいる物乞いの人々は無視し続けていました。ボランティア登録の初日の説明で、「物乞いの人の一部はマフィアと繋がりを持っています。子供達もプロです。また、インドの人々は誇りを持って生きています。お金を与えないでください。」と注意されました。大学の海外に慣れている先生にも無視することが最良の方法だと言われました。お金を与えることが良くないことは私にも分かりました。しかし、ボランティア先の入居者さんと町中の人への接し方に、あまりにギャップがありすぎて、同じ困っている人なのに、町中の人にはこんな冷たい接し方しか出来ないのか、ボランティアでお世話出来るのは一部の人だけで、所詮自己満足の領域なのだろうかと悩まされるようになりました。マザーテレサが目指した、「貧しい人のなかのさらに最も貧しい人のためにつかえる」ということとは、何かがずれている気がしました。マザーテレサの目指したマザーハウスと現状のコルカタが何か違うと感じました。確かにキリのない話になってしまうけれども、マザーはスラムで、今にも息を引き取りそうな老婆を病院へ連れて行き、助けた時、院長の「こういう人はカルカッタには何百人もいる」という言葉を受けてカリガートを設立しました。キリのない人々を助けたくて立てられたはずの施設であっても、現実にマザーハウスが助けられるのは、やはり一部でしかありません。全ての貧しい人々をマザーハウスに収容することは不可能です。
そこで、何もマザーハウスというひとつの団体が全てを抱え込む必要はないのではないかと考えました。他の団体はないのか?連携は?またそれに関連した疑問も数多く起こりました。政府の動きは?マフィアとは何なのか?なぜマフィアとスラムの人々は繋がりをもっているのか?そのマフィアとスラムの人々との繋がりは断ち切ることができないのか?それに関わっている団体はないのか??…国の背景を勉強しなければ分からない事がたくさん出てきました。
マザーハウスを含むNGO団体やボランティアの活動は、草の根活動だと思います。しかし、コルカタにはその活動を必要としている人がまだまだたくさんいることを目の当たりにしました。国がまるごと良くなればそれに越したことはありませんが、そこにたどり着くまでには多くの歳月を必要とします。国がまるごとよくなっていく過程において、このような草の根活動が軽視される傾向にあります。しかし、国連や政府組織が国の向上のために動けるのは、基盤にNGOの活動があるからであり、続けていくうちに、キリのない活動に感じられ、国連・政府組織の活動とNGOの活動は、無関係なものに見えますが、どちらかが欠けても成り立たないため重要な活動だと考えます。そんなキリのない活動の中にやりがいを見出すためか、カリガートのSさんは、「毎日、今日はこの人の笑顔をみるために、明日はあの人の笑顔をみるために、と思って仕事をしているの。笑顔をなくした人の笑顔を取り戻すことが私の働きがい」と話してくれました。私はその言葉がすごくステキだなと思いました。ボランティアを必要としている人がいるのだから、意味のない活動なんてことは絶対にないと感じさせてくれる笑顔を、カリガートの人たちは見せてくれました。
私は今回の経験を通じて、「問題にぶつかったときにそれを考え続けていくこと」「キリのないように思えるNGO活動の重要性を認識しつつ、毎日の仕事に目標を持って働くこと」、これら二点が意味のある国際協力の形だと思いました。
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